誰も真似したいとは思わない世界

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ブロともについて

ブロともについては、今後方針が変わるかもしれませんが、今のところは考えておりません。


それでは、「誰も真似したいとは思わない」記事だとは思いますが、楽しんでいただけるとうれしいです。

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「視聴者参加型」番組のこと

テレビをみていると、近年「視聴者参加型」番組が急激に増えた印象をうける。

視聴者が番組に参加すること自体はそれほど悪いことだとは思わないけれど、私は最近増えた、ニュース番組内で、ツイッター等で「視聴者のみなさまからのご意見をおよせください」というコーナーが大嫌いである。

この手のコーナーではツイッター等でその番組のタグをつける等して投稿すると、運がよければそれがテレビ画面の下部に表示されるようなものが一般的だが、私にとってはあの画面下部に表示されるつぶやきが視聴の邪魔で仕方がない。

どうしてこんなにイライラするのだろうかと考えてみると、大きく2つの原因があるのだと思われた。

まず、あのつぶやきコーナーから「得るものがない」ということである。

念のために言っておくが、私はツイッターのつぶやきを軽視しているわけではない。

当初はたかだか140字程度で何が言えるのかと思ったこともあったが、他人のつぶやきを見るとなかなか140字で含蓄のある言葉がつぶやかれていることもあり、感心することも少なくない。

しかし、それは「自由に」つぶやかれているからこそのものであると思う。

テレビの「視聴者参加型」番組の投稿は所詮製作者サイドによって「検閲」された見せかけの「視聴者参加」である。

正直言ってあたりさわりのないつぶやきばかりである。

勿論この「検閲」は製作者側にとって必要な作業であることは疑いない。

放送事故にあたるような意見は視聴者のためにも予め除外しておく必要がある。

「検閲」を経たとしても、バラエティー番組なんかはまだ楽しめる。

ツイッターからの投稿ではないが、NHKのケータイ大喜利なんかは視聴者参加型の番組で成功した番組だと思う。

もちろん視聴者からの投稿は「審査」を経たものが紹介されるのだが、自分の考えつかないような答えが紹介されるたびに、楽しませてもらっている。

一方「真面目な」番組になると、「投稿」の内容は実につまらないものとなる。

賛成意見と反対意見をみても、内容は所詮どこかできいたような意見ばかりで新たな知見を得たりすることはまずない。

もう一つは自分自身であれこれ考える際に気が散るということがあると思われる。

専門家の意見などをきいているときにテレビの下部にツイッターの投稿内容が流れてくることが少なくないが、あれは私にとっては邪魔以外のなにものでもない。

先ほど述べた、「大したつぶやきがない」ということに加え、特にニュース番組や専門家の討論番組等は、視聴しながらあれこれ考えたいというのに、気が散ってしょうがない。

私の集中力が足りないというのも多分にあるのだろうが、それにしても邪魔だ。

といっても、多くの人間に支持されているからこそ(視聴率をかせげるからこそ)、この手のコーナーが設けられるという事情もあることもまた事実であろう。

せめてつぶやきコーナーは副音声みたいな機能にして、みたくない人は画面から消せるような設定にしてくれないかなと思ったりする今日この頃である。


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『いい国つくろう鎌倉幕府』のこと

繁華街のバーできれいなお兄さんやお姉さんと飲んでいるとき、「歴史の研究をしています」と話したときにキャストや近くにいた他のお客さんから聞かれる質問でもっとも多い質問はなんだと想像されるであろうか。

『戦国と幕末がブームだから・・・』とそのあたりから質問を考える方も少なくないであろうが、意外とその時代についても質問は少ない。

本能寺の変に関する質問が若干ある程度である。

圧倒的に多いのは、『鎌倉幕府の成立って「いい国つくろう」じゃないんですよね?』という質問である。

もう8割以上を占めているといっても過言ではない。

ちなみに次に多い質問は『歴史上の人物で最も好きな人物は誰か?』というものである。

いわゆる『いい国』の質問をされた時には、内心『またか・・・』と思いながらも、『1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年であって・・・』と説明をはじめる。

鎌倉幕府の成立をどこに求めるかという点は色々と議論がある問題ではあるが、ここではその点には深く立ち入らない。

私が気になるのは、『なぜこの質問が多いのだろうか?』という点である。

詳しい統計をとったわけではないから推測に過ぎないわけだが、恐らく中高生に『あなたの好きな時代はどこですか?』と問えば、恐らく戦国時代あたりがあたるのではないかと私は推測する。

幕末の時期等がトップにくる可能性も完全には否定できないけれど、少なくとも鎌倉時代がトップにくることはないと思われる。

では、なぜ他時代に比してそこまで関心が高いわけでもなさそうな鎌倉時代の質問がこれほど多いのだろうか。

これはひとえに例の『いい国つくろう』の語呂合わせが原因であると思う。

第一にこの語呂合わせは、非常にわかり易く、共通のものである点が大きい。

通常では、歴史上の出来事を語呂合わせにする場合、参考書によって様々である。

全く違うとまではいわなくても、語尾や細かな表現が異なっていることも多い。

しかし、『いい国つくろう鎌倉幕府』はかつてどの参考書でも使われるほど一般的な地位を得た語呂合わせであったと思う。

しかも、単に『用語を覚えるだけ』の語呂合わせと異なり、比較的鎌倉幕府成立に結びつきすいものであったことも大きい(まあ、語呂合わせは本来そういうつくり方をするものなのだろうけど)。

とはいえ、それは『かつて』の話である。

私が高校時代に使っていた山川の教科書にはそのような記述はされていなかったし、中学時代の教科書についても同様であったと思う。

私より年下の方々ならなおさら教科書等で目にする機会はなかったはずである。

事実冒頭で触れたお兄さんお姉さんに尋ねても、そのような記述はなかったという。

ではなぜこの語呂合わせの事情を彼らは知っているのだろうか。

語呂合わせ自体は今でも使われてる参考書があるのかもしれないが、私は最も大きな要因は教師が教えるからなのだと思う。

要するに『先生の頃はいい国つくろう鎌倉幕府って覚えてたんだけどさ、最近どうも違うみたいなんだよ』的な説明である。

私も聞いた覚えがあるし、聞いたことがある読者の方も多いのではないかと思う。

教育内容として必要かどうかはともかく、先生方にとっても身近な語呂合わせで、かつ『いい国つくろう』の見直しが印象に残っているのだろうと思う。

そしてそれをきいた生徒たちが同様の知識を人に話すことになる。

このような流れが続いている限り、『いい国つくろう鎌倉幕府』という語呂合わせは、鎌倉幕府の成立が1192年であるとはもはや考えなくなった現在においても、そしてこれからもしばらくは『日本史の最も有名な語呂合わせ』の地位を保持し続けるに違いない。


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セーラービーナスのこと

ちょっと参照したい本があったので院生室から研究室に行ってみると、後輩達がセーラームーンの話で盛り上がっていた。

下敷きかなにかを見ながらキャラクターのエピソードなどを語っていたのであるが、私は最初彼女らの言動を気にもとめてはいなかった。

お目当ての本を探し出し、院生室に戻ろうと彼女らの後ろを通ったとき『昔そんなアニメもあったなあ』というある種の懐かしさもあってちょっとその下敷きを見ていると、後輩にセーラームーンを知っているのかと聞かれ、『20年位前に流行っていた気がする』とこたえた。

セーラームーンの変身後の名前は惑星の名前がついていることが多いから(初期だけなのかな?)、一応名前は想像がつくのであるが、変身前の名前などはさっぱりわからない。

そのため後輩に「月野うさぎがこのセーラームーンで、水野亜美がこのセーラーマーキュリーで・・・」と教えてもらっていたのだが、その時私はふいに「セーラービーナスはどれか?」と彼女に問うた。

彼女は「これです」と指差す先をみた私は「この人がねえ・・・」と若干感慨深い気持ちになった。

あまりにも突然だったから若干不審に思ったかもしれない。

あるいは美少女オタクではないかと思われたかもしれない。

その場で彼女に説明するのも面倒だったが、かといって誤解を招いてもいけないので簡単に思い出話を語っておいた。

今回はその話を記事にしてみたいと思う。

正直言って私はセーラームーンのストーリーをよく知らない。

初期のキャラクターなら画像を見れば一応「いた」ことは認識できるが、正確な名前などは覚えていない。

これは忘れてしまったのではなく、はじめから記憶していないのだと思う。

ではなぜ「セーラービーナス」の名前が咄嗟にでてきたのかといえば、約20年ほど前に遡って説明を加えなければならない。

当時の私は保育園児であった。

あまり記憶はないが外で元気に遊ぶ一般的な保育園児であったと思う。

しかし、毎日外で遊べるかといったらそうとは限らない。

雨の日は勿論、晴れていても何らかの事情で「今日は教室で遊びましょう」という日もある。

そんな時何をして遊ぶか。

外で遊ぶ時と違い男女一緒に遊ぶことが多かったから、本を読んだりおままごとをしたりすることもあっただろうけど、当時はセーラームーンごっこが大流行であった。

セーラームーンで男キャラといえばタキシード仮面くらいしかいない。

当然男の子の間でその役の争奪戦となるが、じゃんけんで勝てる確率はそう高くない。

私もその役をやった記憶はあまりないが、なぜかセーラービーナス役をやっていた記憶が残っている。

女の子に聞いて変身のポーズまで完璧であったはずである(笑)

しかし、当時はパソコンもそれほど普及していなかったから気軽に調べることもできず、姿も知らない「セーラービーナス」を演じていたことになる。

実家には当時の写真が引き伸ばされたもの中にそのような写真が残っているが、恐らく両親は○○レンジャーの真似をしているとでも思っているのだろう。

とはいえこの手のブームは一過性のものであり、幼稚園にあがるころにはもうその手の遊びはやらなくなっていた。

したがってその後セーラービーナスが何者であるかなど考えることは全くなかったのであるが、約20年後の今になって思わぬ形で現物を知ることになったわけである。

ただし、wikipedia等でキャラクターの詳細な設定を参照する限り、どうもこのキャラクターが好きで演じていたとは思えない。

今回の件で当時の私について何かがわかったということではないが、とりあえずあのころは純粋だったなあというエピソードを発掘することだけはできた。

まあ、だからなんだって話なんだけどね(笑)


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最近出会ったとある女性のこと(4)

前回までの3回に渡ってとある女性とのある日のやりとりを記述したが、彼女と上手くいかなかった理由はどこにあるのだろうか。

この点をよく考えておくことは今後のためにも重要である。

単純に「彼女が金目当てだったから」とか「任天堂3DSを要求してきたから」とだけ結論づけてしまってはならない。

単にその点だけが問題なのであれば、3DSを買ってあげるという解決法もあったはずである。

そもそも私はそれほど「彼女が悪い!」と考えているわけではない。

そうしなかったのはなぜかという点を考えておく必要がある。

私はこの原因は「尽くす」ということの理解の差にあったと考えている。

思うに、デートなどで「尽くす」というのは、我侭を聞いてあげる的な「精神的奉仕」と欲しい物を買ってあげる、デート代を払う的な「金銭的奉仕」という両面があると考えられる。

私を含む多くの人にとってこの「精神的奉仕」と「金銭的奉仕」は無制限に行われるものではない。

「精神的奉仕」と「金銭的奉仕」については一定の上限値があり、上限を超えた場合はもう一方の側の奉仕を減らす事を求めるわけである。

(もちろんどちらか一方が限界値を超えた段階で見切りをつける方も多いと思う。むしろこちらが多数派だろうか?)

例えば、相手から通常(自らがデート等で当然行うものと考えている「負担」)レベル以上の「金銭的奉仕」を要求される場合は「精神的奉仕」の量を減らし、相手方にそれを引き受ける事(多少の我侭を聞いてもらうなど)を相手に求めるのであり(要するに誠意を見せろということ)、逆に私に通常以上の「精神的奉仕」を求める場合は直接金銭を要求することはないにしても負担額を見直すということくらいはあり得るかもしれない(私ならこの場合は全額負担はあり得ない)。

つまり「精神的奉仕」と「金銭的奉仕」は愛情に比例して一定の数値までは増加していくのだろうが、ある一定の数値まで行くとそこで頭打ちになり、その後は「精神的奉仕」と「金銭的奉仕」の割合の組み換えがおこるだけであると思うのある。

したがって私の場合、マンションとか車になると「精神的奉仕」の数値をゼロにしてもカバーできない金額となり、買うという選択肢はないということになる。

しかし今回買って欲しいと言われたのはマンションや車ではなく任天堂3DSであるから、「精神的奉仕」の度合いを下げれば買ってあげる可能性は十分あった。

ではなぜ買わなかったのか。

それは私と彼女が考える「尽くす」に含まれる「金銭的奉仕」と「精神的奉仕」の限界値があまりに違いすぎたということが大きな原因であった。

私の場合、任天堂3DSを買うことは付き合っていて誕生日や何らかの記念日にプレゼントとしてあげるならともかく、付き合ってもおらずしかもまだ2回しか会ったことがない彼女に無条件でそれを買ってあげる気にはならなかった。

今回のケースでは、私の中で食事代や飲み代、ホテル代を払うことは「金銭的奉仕」に含まれていたが、任天堂3DSを買ってあげることは「金銭的奉仕」の限界をこえていたわけであり、その要求をかなえるためには彼女の「精神的奉仕」指数を増やしてもらう必要があった。

しかし、彼女から言わせれば私の「尽くす」行為は上限値になど全く達しておらず、まだまだ余裕があったのだろう。

もちろんご馳走してもらって感謝の言葉1つないといった人間性の面を問題視することはできようが、彼女の立場からすれば、まだ私になにか通常以上の「尽くす」行為をする必要性はそれほどなかったのだと思う。

ただし、彼女が何もしなかったと解することができるかは微妙なところで、例えば彼女の立場からすれば「手作りの和菓子を持参する」という行為が「尽くす」行為に該当すると解することができるかもしれない。

しかし、私にとってはこの行為は手作りで多少の工夫がみられるとはいえ、仕事の合間に1箱余分につくるというものであったから、純粋に「精神的奉仕」とは考えられなかったし、むしろ物質的(「金銭的」というのは若干不適当な気がするので・・・)な「尽くす」行為のように思えた。

その場合、私が任天堂3DSという金銭的奉仕に対して求める精神的奉仕の要件を満たしておらず、それこそ食事代、飲み代の金銭的奉仕に対する不満を和らげるような効果は果たしたかもしれないが、任天堂3DSの対価とまでは到底評価できるものではなかったのである。

あるいは彼女が私のような人間とホテルへ行った事を「精神的奉仕」と解することもできるかもしれない。

しかしこれはもはや援助交際の次元の話であり、私にはそのような契約関係になる意思は全くない以上、これを対価とすることは正直あり得ないはなしである。

この両者の認識の違いがそう簡単に埋まるはずがない。

そう考えると、今回彼女との関係構築に失敗したのはどちらか一方の不手際というよりは、むしろ必然のなりゆきだった気がするのである。


(おわり)


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