誰も真似したいとは思わない世界 | 2011年03月

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髪型をかえた。

今日は午前中は歯医者、午後からは美容院へ行ってきた。

歯医者といっても、歯が痛いとか虫歯であるということではない。半年に一回の定期検診へ行ってきただけのことである。

その後昼御飯を食べて美容院へ。私の行きつけの美容院は神戸にあるから、電車に乗って行ってきた。

そういえば、一昨日は甲子園、昨日、今日は三宮と3日連続で阪神方面に行っている。

電車代もそれなりにかかるのだから、もう少し計画性を持って神戸での用事を2日で済ませればよかったと反省している。

話を戻そう。

私の行きつけの美容院は三宮駅の近くにある。前回行ったのは冬休みであったから、ほぼ3ヶ月ぶりとなる。

前回は「成宮カット」にしたが、あの髪型は手入れに手間がかかるため、私の力では一週間も維持することができなかった。

今回はその反省を生かして、手入れがしやすい髪型にしてもらった。

また今回はかなり短めにきってもらってきた。髪の色も前回より落ち着いた感じの色にしてきた。

前回とはまた違った雰囲気に仕上がっているが、はたして周囲の反応はいかがなものか・・・・・・。


明日から古文書調査があるので、今から岡山に戻ろうと思う。

古文書調査には新二回生の皆さんも参加するそうだ。

彼らの元気を分けてもらいながら、明日からの古文書調査を頑張りたいと思う。

※「雪の精」はいるか?(2)はまた明日以降に書くことにする。
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「雪の精」はいるか?(1)

春物の服を買おうとマルイ三宮店へ行ってきた。

私は服のセンスがあまりないので、店員さんの意見を参考にすることも多い。

今回はマルイの中のある店で、例の「雪の精」の店員がいたので、その店で服を買ってきた。

「雪の精」事件について知らない人のために事件の概要を記しておこう。

 昨年の冬、白いコートが欲しいと思い、マルイへ行った。知り合いの店員がいたので、その店の商品もみてみようと思い、中に入った。

 試着するときに世間話をしていたのだが、そのとき私は「試着した感想を聞くと店員はみな「お似合いですよ」と言うが、もっと他の言い方はないものか、それこそ「買おう」と思わせるような」なんてことを話しながら試着し、「どうかな?」と聞いてみた。

 どんな感想を言うかなと期待していたのだが、その店員さんの言葉は「雪の精みたいですよ」というものであった、という事件である。

 お互いに面識があるからふざけてみたのだろうが、それにしても衝撃的であった。

 誤解がないようにことわっておくが、別に自分が本当に「雪の精」のようだと思われているなどと厚かましいことは考えていない。自分がそういうルックスではないことは自分自身がよく知っている。

 しかし、あの場で「雪の精」などという言葉がでてくること自体すごいとは思わないだろうか。

 別に私が事前にそういうことを聞くと予告していたわけではなかった。

 私なら即興でそんな表現は思いつかないし、たとえ思いついたとしてもそれを口に出す勇気はない。

 私はその店員さんに敬意を表して?そのコートを買おうかと思ったが、その日は成人式で着るためのスーツを買いに来ていたのであり、そのコートはスーツを買った残りのお金で買えるような金額ではなかったので、その場で買うことはなかった。

 しかしながら、私は「雪の精」事件から一年以上たった今でも「買っておいた方がよかったかな」と考えることがある。この話を他人にするたびに、「店員さんの言葉に敬意を表して買ってしまった」という結末のほうがおもしろかったのではないかと感じるのだ。だから、コートを買うことでその「結末」も買っておけばよかったと思う時があるのである。

 そんな思い入れのある店で服を買ってきたのであった。

 しかし今日買ったのは白ではなく黒い服であったが……。

甲子園へ行ってきた。

甲子園へ行ってきた。

思いの外良い席がとれた。バックネット裏のど真ん中、しかも前から四列目である。

テレビ中継をみていないので、よくわからないのだが、もしかしたらテレビ画面にうつっていたかもしれない。

場所が場所だけに、もしかしたらピッチャーが投げるたびにうつっていた可能性もある。

前から四列目で、黒い服を着て、サングラスをかけている人間を見かけたとしたらそれは私である。

対戦カードと試合結果は以下の通り。
 
  加古川北(兵庫)―波佐見(長崎)
           2-0
   日大三(東京)―静清(静岡)
           3-1
智弁和歌山(和歌山)―光聖学院(青森)
           3-2

 私は加古川北高校出身ではないが、地元加古川市の高校ということもあり、応援してきた。

 どの試合も接戦であり見ごたえのある試合ばかりであった。

 私は毎年高校野球を観戦している。

 いつもなら毎回三日は見に行くのだが、今回はレポート提出に手間取ったこともあり、今日が初日。

 4月の初頭には古文書調査があるため、今春はこれっきりかもしれない。

 3日間の古文書調査が終わった後も加古川北が残っていれば岡山からでも参戦するつもりであるが・・・・・・。

 先ほど「毎年」という表現をしたが、私の高校野球観戦歴はさほど古くはない。
 
 毎回見に行くようになったのは、大学生になってからのことである。

 ではなぜ毎回観戦するのか考えてみると、理由としてすぐに浮かぶ点が2つある。

 まず、1つ目は球児達から元気をもらえる点である。

 白球を追って一生懸命な姿はもちろん、攻守交代の際の全力疾走等もみていて清々しくなる。

 試合そのものからくる興奮、感動は言うまでもない。

 そして、もう1つ挙げなければならない点は、好プレーに対して敵味方関係なく惜しみない拍手を送るあの環境である。

 あの環境をつくりだすことは簡単ではない。特に片方のチームが自分の応援するチームであった場合はなおさらである。

 現に今日の試合でも智弁和歌山戦では、智弁和歌山がなかなか逆転できず、バックネット裏でも結構野次がとんでいた。

 しかしながら、相手チームの投手を誉めることも忘れない。

 そんな環境にひかれている面も私の場合はあると思っている。

 一言付け加えるならば、その精神を勝利校の校歌演奏が終わるまで持てればと思う。

 試合が終わると多くの人が帰りの電車やバスを気にして一目散に出口へ向かう。

 しかしながら、考えてほしいのが、試合終了から校歌演奏が終わるまでの時間など10分もかからないというのに、そんな時間を惜しんで一目散に駅へ向かってどれほどの意味があろうかという点である。

 大体みんな同じようなことを考えているのだから列はなかなか動かない。言うまでもなくその程度急いだからといって帰りの電車で座れるというわけでもない。

 私の場合は、校歌を聞いてから出口へ向かうのであるが、いつもスムーズに出られる。

 しかも、帰りの阪神電車では、乗った当初は座れなかったが西宮から座ることができた。甲子園から西宮はものの5分である。

 そう考えるとそんなに時間を惜しむことにどれほどの意味があろうかと皆さんもかんじないだろうか?

 その後家族に頼まれていたので、元町で小籠包を20個買い、帰途についた。

 本当は、その後三宮で服を買いたかったのだが、小籠包の匂いをさせながら店をうろつくわけにもいかず、諦めた。

 また明日出直すことにしよう。

帰省した。

加古川に帰ってきた。

どうせならと九州新幹線に乗って帰省した。

「みずほ」は姫路にはとまらないから、必然的に「さくら」に乗ることになったのだが、これがなかなか乗り心地がよい。

 設備面についても、充電器完備の上、まだ座席も新しくあの新品特有のにおいが残っている。

 一駅ぐらいで快適もなにもないのかもしれないが、数十分待ってよかったと思っている。

 しかし、まだ物珍しさがあるらしく、自由席はいっぱいであった。

 4分前には東京行きの「のぞみ」があったが、どうみても「さくら」に乗る人の方が多かった。まあ、最初はそんなものだろう。

 新幹線に限らず、私は鉄道好きである。といっても写真を撮ったり、時刻表を暗記しているというわけではない。

 鉄道旅行が好きなのである。
 
 ただ、個人的にはローカル線に乗ってのんびりと行く旅行もよいが、ご当地の特急に乗るのが楽しみである。

 岡山は四国方面へ向かう特急がたくさんあるが、在学中にほとんど乗った。

「しおかぜ」「南風」「うずしお」 「宇和海」「剣山」「しまんと」「いしづち」そして出雲方面行きの「やくも」である。

「あしずり」と「スーパーいなば」には乗れていないが、何とか在学中に乗ってみたいと思っている。

「スーパーいなば」の方はまだ乗る予定はないが、「あしずり」については5月に乗る予定である。

 なぜ5月かというと、JR四国の列車については、バースデー切符なるものがあり、自分の誕生月であれば一万円で特急が乗り放題となるからである。

 その機会を利用して「あしずり」に乗ってみたいと思っている。

 そして高知方面を観光したいと考えている。

 ちなみにそのバースデー切符は、同伴者の人も一万五千円で買える。

 もし一緒に行きたいという奇特な方がいらっしゃれば私の携帯アドレスまでご一報を(私と面識のある人に限る)。

「電球」を買いに

 風呂場の電球がきれたので、近くのスーパーへ買いに行った。

 電球と言えば、知る人ぞ知る「電球事件」がある。今日はそのことについて書いてみようと思う。

 私の場合、輪型の蛍光灯は、蛍光灯ではないと思っていた時期がある。つまり、直線型のもののみを蛍光灯と見なしていたわけである。

 では輪型の蛍光灯をどう呼んでいたかというと、輪型の蛍光灯=電球と呼んでいたのではないかと言われることがあるが、おそらく電球と蛍光灯の区別はついていたように思う。確か、蛍光灯でも電球でもないので「電灯」とか呼んでいたような気がする。

 まともな人からみればそれだけでも「事件」であり、「電球事件」と言われたりしたが、私のなかで「事件」といえば、これから書く事件である。
 
今思えば笑ってしまうような事件なのだが・・・・・・。

 高校時代、「よく使う場所なら蛍光灯」、「あまり使わない場所なら電球」という原則に照らしてみると私の部屋の電気はそれに合っていないようだ、そう感じた私は自分の部屋の電気をすべて直線型の蛍光灯にかえた。電気も新しくなり、電気代も節約できるとそのときは満足していた。

 しかし、今思えばあの行動には何の意味もなかったのである。確かに電球から蛍光灯にかえれば電気代の節約になったかもしれない。

 しかしながら、私がやったことは「輪型の蛍光灯」から「直線型の蛍光灯」にかえただけであり、意味はなかった。しかも新しく取り付けた電気は、明るいかわりに蛍光灯を五本も使うやつだから逆に電気代がかかっている可能性さえある。
 
 そんなくだらない事件であった。
 
 そんなことをやっていた私が、無事電球を買ってくることができたということは、少しは成長しているということには・・・・・・きっとならないだろうな。

自転車(2)

 昨日に続いて自転車について。今日は、私の歩き生活について書こうと思う。

普段自転車で何気なく通りすぎてしまう道も、歩いてみるとまた違った姿が見えてくる。

何か気になるものを見つけたら立ち止まって観察してみる。

これがなかなかいいものである。

私の場合、歩き通学を楽しむ上で欠かせないのが、携帯できるサイズの植物図鑑と星座早見であり、大学へ行くときは植物、帰るときは星を見ながら大学と下宿を往復している。

○植物の観察
 植物といっても、道端の植物をひとつひとつ観察したりはしない。それをやると遅刻してしまう。
大学へ行く途中に中学校(小学校かもしれない)の前を通るので、その中学校に植えられている樹木や校門横の花壇に植えられた植物の観察が中心である。その植物を見て知らない植物があれば図鑑で調べてみるのであるが、これが結構楽しい。
 紅葉が散り始めていた時は、葉を一枚とって、「歴史書を読む会」のメンバーに見せて、「紅葉といえばどんな詩や歌、俳句等を思い浮かべるか」と聞いてみたりもした。
私的には「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」とか「このたびは ぬさもとりあえず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」等が出てくるかなと期待していたのだが、結果は「知らない」と一刀両断されてしまった。国文学専攻の人に聞いてみればまた違うのだろうが・・・・・・。
 今の時期だとその中学校には梅の花が咲いているから、ついつい「実家の梅はきれいに咲いているだろうか」などと考えてしまう。実家の梅の木は、私が幼い頃に小遣いで買ったものでもう十年以上たつのだが、愛着があり、今でも実家へ帰った時には私が手入れをすることもある。いつかその梅の木の下で花見ができればと思っている。

○星の観察
 私の場合、夜は図書館で勉強することが多いので、大学から帰る時間はかなり遅い。あたりは暗く、植物などは見ることが出来ないから、観察対象は星となる。最初はオリオン座等、誰でも知っているような星座からはじめて、だんだんマニアックな星座も探したりする。

 こうしてみると、「歩き通学も悪くない」と思うのである。
 しかし、友人達にこういう話をすると「意味がわからん」と一蹴されたり、「そんな暇じゃない」という反応が返ってくることが多い。

 確かに世の中はめまぐるしく動いているが、時にはふっと顔をあげて星空をみてみるくらいの余裕は必要ではなかろうか。

 ここまで「歩くのは楽しい」ということを書いたが、そんなことも言っていられない時もある。ここ数ヶ月の私には、「使いたい」と思った時の為の自転車がなかった。つまり私は「歩く」しかなかったのである。
 しかし、昨日いただいた自転車は、私に「自転車を使う」という選択肢と「歩く」という選択肢の二つから、その日の状況に合わせて好きな方を選択できる権利を与えてくれたのである。

自転車(1)

 大学院を修了された先輩から自転車をいただいた。今度こそ大切に乗りたいと思っている。

 どうも私には自転車運がないようで、今年度は盗まれたり壊されたりで、3台の自転車をだめにした。

 1度目は4月。4年乗っていた自転車だったが、ライトがつかず、ペダルをこぐと耳障りな音がしたので、廃車にした。
 2度目は7月。駅にとめて朝マックをしていた数十分の間に前輪後輪に穴をあけられる。フレームも歪められており、タイヤを直しても乗れそうにない。廃車。
 3度目は12月。妹尾のラウンドワンでボーリングとカラオケをやっている間に盗まれる。カギはかけていたのに盗まれた。警察に届けたが見つかっていない。

 別に自転車を買うお金がないわけではないのだが、自転車屋さんに「また、あいつが来た」と思われるのが嫌で、自転車なしの生活をしていた。

 自転車がない生活というのは、なかなか不便である。不便さを感じるときを挙げれば、すぐに浮かぶのは次の3つである。

①早い時間帯に講義がある時。
②ちょっと遠いところへ行きたい時。
③前日歩きすぎた時。

 ①はついては特に説明はいらないだろう。私の下宿から大学までは、歩いていくと15~20分位かかる。自転車ならその半分以下の時間で行ける。たかだか10分程度の話だが、朝の10分は貴重である。

 ②も文字通りの意味。歩いて行くには少し遠い場所へ行く時である。ただし、私は歩くのは好きなので5キロぐらいなら苦にならない。しかし、それ以上の距離があったり、距離は短くても荷物が多いときなどは憂鬱な気分になる。そういう時はバスや路面電車を使うのであるが、これが意外と金がかかる。

 ③は、私の趣味と関係している。私の趣味の一つはウォーキングである。先月も姫路城から歩いて大阪城まで行ったのだが、当然次の日から数日間はひどい筋肉痛である。自転車のペダルをこぐくらいなら問題ないが、足の痛みを考えると歩く気にはなれない。

 そんなわけで私の行動範囲が狭まっていたのであるが、自転車を戴いたおかげで、またいろいろな所へ気楽に行けそうである。

 ただ、自転車がない生活というのは不便なことばかりではない。そのことについては、また気が向いた時に書いてみたいと思う。

初ブログです。

初ブログです。

これから、日々の生活で感じたことを中心にいろいろ書いていきたいと思っています。

どうぞよろしく。
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