誰も真似したいとは思わない世界 | 2011年05月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近笑会100キロウォークについて

今日ポストに、近笑会100キロウォークの案内が入っていた。

開催日は 平成23年9月10日(土)~9月11日(日)
集合場所 姫路城 大手前公園
ゴール  大阪城公園(オプションとしてゴール後、プラス50キロ歩くコースがあります)
参加費  2000円

詳細は、近笑会(近畿ウォーキング笑会)のホームページをご覧ください。

私は今回も参加する予定である。

誰か一緒に行きませんか?

100キロ歩いた後のビールの味は格別ですよ。

追伸 今日の誕生日は特に変わったことはやらなかった。ただ、全く何もしないというのもあれだから、シャンパンを一本買ってきた。奮発していつもよりかなり高価なものを買ってきた(大体新書が7・8冊買える値段)。ささやかな楽しみというやつである。


※ランキングに参加しているので、気が向いたらクリック・投票よろしくお願いします。

※ランキングを一件追加した。(リンクの「ブログ王」というやつです)
スポンサーサイト

扇子を持って歌うということ

中世史演習の後、久しぶりにカラオケに行ってきた。

6時間ほど歌ってきたが、今日はなかなか好調であった。

私がよく行くラウンドワン妹尾店では、受付の際、カラオケ機種の希望と部屋の希望を聞かれる。

いつもなら、「機種はDAMでドリンクバーに近い場所を」と言うのだが、今日はあいにく該当する場所があいていなかったので、ステージ型の部屋を希望した。

ステージ型の部屋は、読んで字の如く部屋がライブのステージのようになっている。その設備もよかったが、今回私が気に入ったのは、ライブの雰囲気を出すためなのか、部屋が鏡張りになっていたことであった。

普段歌っている姿をみることはないので、これは興味深いと思い、歌っている自分の姿を確認しながら歌ってみた。

その結果、いくらリズムをとるためとはいえ歌っている最中の手の動きが大きすぎるということが判明した。

ある程度は仕方がないとは思っているが、それにしても美しくない。

どうしたものかと考えた結果、「(マイクを持たない方の)手に物をもてばいいのではないか」と思い、実践してみることにした。

カバンの中をみると、扇子があったので、これがちょうど良いではないかということで、これを持って歌ってみた(ダンスがあるものは手に物を持つと踊れないので除く)。

ちなみに、浜崎あゆみの「moments」など、実際に歌手が扇をもっている場合は(You Tube等に映像がある)、その真似をして舞を舞うが如くやってみた。

すると、出るは出るは、高得点ラッシュであった。

理由としては、物をもったことでマイクを持たない方の手をあまり動かさないようになったことと舞を舞うが如くという意味で背筋がのびて、姿勢がよくなったということがあると思う。

あと、ナルシーな要素も否定できない。

そんなことがあり、今日のカラオケはなかなか楽しかった。

しかし、今日のカラオケにおける犠牲についても触れておかなければならない。

扇子を持って歌ってみた話をしたが、鏡にその姿がうつっているため、当然指先を伸ばさないととか、エレガントに、なんてことを考えると当然扇子を持つ手に力が入る。

また、今回のような場合、扇子はあおぐのではなく、日本舞踊のごとく?風を切るように動かすわけである。

当然市販の扇子はそんな使い方をするようにはできていない。

にもかかわらずこんなことを長時間やっているとどうなるか。

皆さんも容易に想像できるだろう。

6時間のカラオケが終わるころには、扇子の竹の部分を束ねるとめ具が、先に挙げたような動きに耐えられなくなって壊れ、扇子がバラバラになってしまった。

今度はもっと頑丈なものを用意しておくことにしよう。

ちなみに今は、酒を飲みながら壊れた扇子を修繕している最中である。

こういうことを書いておけば、誰か、「馬鹿なことをやるねぇ」なんて言いながら、扇子をプレゼントしてくれないかな、なんてことをほんの少し期待しながら・・・。


※ランキングに登録していますので、気が向いたらクリックしてください。

誕生日をどう過ごすかについて

私事で申し訳ないが、明後日は私の誕生日である。

毎年誕生日には、普段出来ない事を計画している。要するに自分の願望を一つ叶えるようにしている。

例えば昨年は三宮の行きつけの美容院へ行き、その後買い物、夜は普段よりワンランク上の夕食をホテルで食べ、ホテル最上階のバーで飲んで、そのまま一泊してきた。

一昨年は、JR四国のバースデー切符を使って四国四県を全部まわってきた。「あしずり」を除くJR四国の全ての特急のグリーン車(グリーン車がないものは除く)に乗ってきた。

では、今年はどうしようかということになるが、全くの白紙である。

昨日が卒論報告であったため、計画を立てて予約等を行う余裕がなかった。毎年のことなので予算自体は確保しているのだが、あまりよい計画が浮かばない。

まあ、無理してお金を使う必要はないのだが・・・。

というのも、5月の前半に浜崎あゆみのライブへ行き、九州新幹線の「みずほ」にも乗ってきたので、今月はとりあえずやりたいことを一つ叶え、その結果満足しているので、今のところ「これをやりたい」という強い願望はない。

夏に「壮大なる実験」(今は秘密)を行うつもりであるので、今年の誕生日の予算はその時の予算に回して、今年は下宿でのんびりすごす誕生日にしてもいいかなと思っている。

卒論演習報告終了

無事卒論演習の報告が終わった。

出来は・・・、まあまあといったところだろう。

お世辞にも充実していたとは言えないが、他の学生と比較しても、かなり多くの質問、ご指摘を頂いたように思う。

ただ、それは私の発表が良いからではなく、「学生から質問があまりでないから」という要素が大きいように思う。

演習が終わった後時計をみると、12時20分をさしていた。

「長々と・・・。」と言いたいかもしれないが、若干言い訳をしておく。

まず、私は4人目の報告であったから、そもそもの開始時間が遅かった(11時20分頃からはじめたと記憶している)。

次に、報告時間自体は厳守している。厳密な時間を言うと、28分37秒である(私の場合、単にレジメをみながら報告すると、当初予定していなかった補足説明を加えたりして時間を超過しがちなので、今回はストップウォッチをセットして、時間厳守につとめた)

つまり、質疑応答が40分弱あったということである。

私の報告の場合、学生から質問がでることがほとんどない(これは毎回反省すべき点で、もっとわかりやすく説明しなければと感じている)。

学生からの質問がなければ先生方からの質問ぜめが待っているわけであり、今回も多くのご指導を頂いた。

ちなみに今回取り上げた内容は、新田氏の「在京活動」であったため、取り上げた論文の主張も「推測」の要素が大きいものが多い。

それ自体は、史料の残存からいって仕方がないことであるが、今回の報告では、(先生方からも指摘されたが)史料から「事実」として確定できる部分と、論文の筆者の推測によっている部分の整理が不十分な箇所があった。

この点については反省しなければならない点であり、早急に再整理を行いたいと思っている。

演習準備中

卒論演習の報告が水曜日にあるが、一向にテンションが上がってこない。

レジメは既に完成しているのであるが、どうも地に足がついていない感が否めない。

地に足をつけるためには関連史料の読みこみが不可欠だが、今回はあまりテンションがあがるようなおもしろい史料がなく、どうも作業のペースが遅い。

今回は、新田氏の在京活動について報告するつもりだが、なにしろ史料が少なく、その少ない史料から新田氏のあしどりを推測するしかないので、先学の見解も分かれている。

しかも、近年注目されている点であり、無視するわけにもいかない。

誰か『尊卑分脈』をめくりながらの作業を楽しくやる方法を知っている人はいませんか?


※ランキングに登録していますので、気が向いたらクリックしてください。

1ヶ月限定ダイエット計画

現在ダイエットをしている。

約一ヶ月後の健康診断を見据えてのことであり、毎年の恒例行事となっている。

岡山大学の健康診断は毎年4月に行われるが、存在をすっかり忘れていた。

6月半ばに4月に受診できなかった人が受診する日があるので、その日に受診するつもりである。

私にとって健康診断前のダイエットは毎年恒例となっている。

毎年大体一ヶ月で5kgはおとしている。ちなみに去年は7kgおとした。

私のダイエットは運動が基本であり、三食の食事を抜いたり、量を減らしたりすることはない。

これをやると、ストレスがたまるなど毎日の生活に支障がでるし、夜食を摂ることになっては意味がない。

もちろん今は間食と夜食を控えるようにしている。

普段食べる量が多いので、私の場合これだけでかなり効果がでる。

晩酌も減らしている。全くやらないとなると気分が悪くなるので(若干アル中の傾向がありますね)、週2回程度に減らしている。

運動についても毎日早起きして一時間ランニングするといった続かないようなことはやらない。

一応毎日やっていることとしては、ややきつめのストレッチと一時間程度のサイクリングである。

「楽しやがって」と思うかもしれないが、サイクリングは意外と脂肪の燃焼効率がいいらしい。

地元に帰ったときはジムに行ったりもする。

私の場合、これを一ヶ月やれば大体5kgの目標は毎年クリアできている。

こういう話をすると、「健康診断直前だけ頑張っても意味はない」という声が必ずきかれる。

確かにその通りだが、毎年何もしないままでいるよりはよかろう。

それに、健康診断の結果は親も閲覧できるわけだから、余計な心配をかけないという意味でも、無意味なことではないと思っている。

※ランキングに参加しているので、気が向いたらクリックしてください。

「いつ、どこで、何時何分何秒、そのとき地球が何回まわった?」

大学図書館へ向かう際に、下校中の小学生達の会話の中で出てきた言葉なのだが、私も小学校時代によくやったやりとりであり、懐かしく思えた。

また、あれは地元特有のやりとりではなかったのだと実感した。

皆さんもそんなやりとりをしたことがあるだろうか?

また、当時の皆さんはこの質問にどう答えていただろうか?

当時小学生だった私は、当初「僕にはわからない。だから答えを教えて?」と返していた。

当然相手は、返答につまってしまう。なにしろ、言っている本人もわかっていないのだから(メモでもとっていたら別だが)。

しかし、そんな返答も長くは通用しない。私がいつものように「答えを教えて?」と言うと、でたらめな答えを返してくるようになる。

「昨日、学校で(ここまでは正しい)、15時46分35秒(ここは適当)」といった具合に答えが返ってくるのだ。

これは不正確な答えなのだが、やっかいなことは、私が「それは違う」というと、必ず「証拠は?」と聞かれる。

証拠などあるはずがない。そこで、「その時間はもう家に帰っていた」と言ったりして、「その時間ではあり得ない」という根拠を挙げるわけだが、それをやったところで本当の時間はわからない。

小学生であっても、それくらいは理解できるようで、この問答はあまり長くは続かない(偽の証人を挙げたりして、長引くこともあったけど・・・)。

次に問題となるのは、「その時地球が何回回ったか?」である。これも正確な答えがわかる人はいないだろう。

小学生時代の私は、論点をすりかえることで、この問題を乗り切っていた。

この「その時地球が何回回ったか?」という問題で問われていることは、おそらく「地球ができてから今までに何回地球が回ったか(今思えばあれは、自転の話だったのか公転の話だったのか?少しに気になる。多分自転だと思うが)」である。

しかし、当時小学生だった私は、地球科学に通じているはずもなく、具体的な数値を挙げることはできなかったから、この質問の論点をすりかえ、「その時」に力点を置いた返答を試みた。

マルク・ブロックは、現在を「持続の無限における極小の点、絶えず逃げ去る点、生まれた途端に死んでしまう瞬間」と描写したが、これに似た感覚で(もちろん当時の私は、マルク・ブロック等を読んでいたわけではなかったが・・・)、約束をした「その時」は、瞬間の出来事であるという認識のもと、

「地球の自転周期は1日、公転周期は1年だから、○○があった時間では一周もできない(周期という言葉を使っていたかは微妙)」と答えていた。

まるでとんちのような答えだが、当時の小学生には(「少なくとも○○億回以上」と答えるよりも)説得力があったらしい。周りの人も真似をするようになっていた。

では、今同じ質問を私がされたらどう答えるだろうか?と考えてみると、正直なところ思いつかない。

これは、小学生時代に考えた答えがよかったからではなく、恐らくそうしたことをあまり考えなくなっているから思いつかないのではないかと思っている。

恐らく今の私にこの質問をされると、よりうまい答えを考えようとすることもなく、「それは屁理屈だ」と切り捨ててしまいそうだ。

その小学生も、「意味分からん」と返していた。

たしかにそうなのだが、もう少し相手を説得するような言い方を考えればいいのにと思ったりする。

屁理屈なのは間違いないので、いちいち真面目に考えるときりがない。切り捨てることも必要だが、たまには正面から受け止めてみるというのも面白そうだ。

それに、小さな子供が無邪気な笑顔で「いつ、どこで、何時何分何秒、その時地球が何回回った?」と聞いてきたときに、「そんなものは屁理屈だ」と返すことがはたして正しいのだろうかと思ったりする。

私は教育のことは詳しくないので、はっきりとしたことはいえないが、どう答えるかを一生懸命考えたほうが創造力を伸ばすのではなかろうか。どうせ「屁理屈だ」と切り捨てることは、そのうち勝手に身につけるのだろうから。

そういえば、「いつ、どこで、何時何分何秒、その時地球が何回回った?」という言い方はどのようにして現れてきたのだろうか?

なにかのテレビででてきたのであれば、なにも言うことはないのだが、もし自然発生的にでてきたのであればなかなか興味深い。しかし、詳しいことはよくわからないので、知っている人がいれば教えてください。

小学校時代の私は、そんな「意味分からん」ことも真面目に考えるような、ある意味純粋な?一面があった。

それが、どうして今のような私になっているかということについては、それこそ「意味分からん」話である。

※ランキングに参加していますので、気が向いたらクリックしてください。

「お疲れさま」という言葉について

「お疲れさま」という言葉をよくきく。

辞書には、「一日の労働や仕事が終わったあとで、ねぎらいの気持ちをこめてかけるあいさつの言葉」と定義されている。

最近の私が所属する日本史研究室では、どう考えても「お疲れさま」(あるいは「お疲れ」)を濫用されすぎである。

別に勉強を終えて帰る人に対してねぎらいの言葉をかけるのはよいことだし、言われて嬉しい人も多いであろう。

しかしながら、今年度に入って「お疲れさま」が妙な使われ方をしていると感じる。

私は研究室に入るときは「こんにちは」などと挨拶をするので、中にいる人は、私を嫌っている人以外は同じように挨拶を返してくれる。

しかしながら、研究室に入ってくるときの挨拶で多いのは「失礼します」である。

今年度に入って「失礼します」(「失礼しました」ではない!)に対して「お疲れさまです」という言葉を返している姿をよく見かけるようになった。

私はこのシーンを見るたびに「君達は何をねぎらうのか」と心の中ではいつも感じている(まだ口に出したことはないが、そのうち口に出すと思う)。

読者の方は、「その人は前の時間の講義が大変だったなど、様々な要素があるのではないか」と感じられるかもしれないが、どうも誰に対しても同じように言っている傾向がある。

4回生以上の人がこのような「お疲れさま」の使い方をする場面はみたことがないのだが、どうしてこのような使い方をするようになったのだろうか。

「おはよう」は言いすぎてもその価値が下がることはないと思うが、「お疲れ様」を「ねぎらい」の気持ちを伝える時以外に、まるで挨拶のように使われると、正直そこに「ねぎらい」の気持ちは感じられなくなってくる。

いや、もしかすると「お疲れさま」という言葉は、一般的にはもう「ねぎらい」という目的はあまり意識されずに使われる言葉となってしまっているのだろうか。

まあ私の中では、目上の人から言われる「ご苦労さま」、「お疲れさま」(「お疲れさま」は目上の人に使う言葉だが、それを敢えて使っていただいたときなどはなかなか嬉しいものである)以外はあまり嬉しいとは思わないのだが、それにしてもこの使われ方は耳につく。

最近私が感じる小さなストレスの一つである。


※ランキングに登録していますので、気が向いた方はクリックしてください。

美しき愛の一形態について

岡大の友人某氏が付き合い始めたとき、私はよくその仲の良い様子をみて「ハネムーン期間だ」と言っていた。

残念ながらそのカップルは別れてしまったが、今回は私の友人(関西学院)で一番うまくいっているカップルの事例を本人に掲載の許可を得たので、載せてみることにしよう。

年齢制限をかけなければならないような話もあるが、不快に思われる人もいるだろうから、そのような話はブログには載せないことにする。

(こういう話をすると「最近は女性もそういう話が好きな人が多いですよ」とある女性が言っていた。私は信じたくないのだが・・・。)

このカップルについて、本人が特定されない程度に紹介しておく。

二人は中学時代の同級生である。高校は別々であったが、バイト先が偶然同じであったことから二人は再開し、その後付き合うようになる。

デートやキスやそれ以上のことについては掲載許可をえていないので、(結構ロマンチックな話があるが)書かない。

今回は現在進行形の話で、私が感銘をうけた事例を挙げてみようと思う。

先日友人の彼女の母親が何らかの事情で、手首を骨折した。

それで友人は、彼女の家へ行っていろいろとお手伝いをしている。

具体的には、買い物や料理の手伝いからごみだしまでやっているそうだ。


彼女の家の話とはいえ、よくここまでやれるなと思う。

彼は「当然じゃない?」と言っているが、なかなか出来ないことだと思う。

彼はもともと顔も性格もよく、その気になればいつでも彼女をつくれるような人であったが(特に中学時代は相当モテていた)、これには頭が下がる。

こうしたこともあり、彼らの関係は深まるばかりとなっている。

付き合ってから半年ぐらいたつが、いまだにハネムーン期間が続いているようだ。

メールのやり取りをしていても、それが伝わってくる。

どうしてこのような関係が維持できるのだろうかと考えてみた。

いろいろあるだろうが、その要因の1つには、やはり女性の側が積極的であったことが挙げられると思う。

告白にしても、初キスにしても、それ以上のことについても彼女の側からの積極的なアプローチがあったことが男性の側をその気にさせたようだ。

現に本人もそれが大きかったと言っている。

しかしながら、絶妙だと思うのは、いくら積極的であるといっても、告白を含め基本的に誘うのは男性側であるということである。

積極的なアプローチにより、男性側の不安を軽減しながらも、いざというときのセリフは男性に言わせることで、男性側の面子もたてる。

見事なものである。


話を戻そう。

先ほど挙げた事例の中で彼はこうした手伝いを「当然のこと」だと言っていた。
しかし、彼女の周りの人は決してそうは思っていないだろう。

そういったことができるからこそ、以前の彼氏とは口をきかなかった彼女の両親(特に父親)にも認められているのではないかと思う。

ちなみに、いくら彼女のためとはいえ、毎日やってるとさすがに疲れないの?と聞いてみた。

それに対する彼の返答は「お手伝いでもなんでもいいから、彼女といたい」というものであった。

いやはや、「愛」の力というのは大したものだ。

彼の体験を聞き、「自分も将来そんなふうに思える人に巡りあえるのだろうか」とワイングラス片手に考えている今日この頃である。

※ランキングに参加している。気が向いたらクリックしてください。

ライブで印象的だったこと

今日のブログのアクセス数は、今までになく好調である。

原因はよくわからないが、ありがたいことである。

さて、今回はライブで印象的であったことを幾つか挙げてみたい。

①観客の年齢層のこと

前回の記事で観客の年齢層について触れたが、そのせいか、私のようにライブの間中ずっと立ったまま観戦していたのはひょっとすると少数派かもしれない。

要するに、立ったり座ったりを繰り返しながら観戦している人が多かった。

ちなみに、会場の喫煙コーナーは煙草を吸う人でいっぱいであった。

若い女性ばかりというイメージがあり、男性の私が行くと浮くかなと思っていたが、それは結局杞憂に終った。

②「あゆ」コールのこと

意外かもしれないが、コンサート前の「あゆ」コールの先陣きったのは、一人の中年男性であった。

その後、その男性の野太い声に呼応した幾つかの女性ファンの集団がコールしはじめ、その後全体に広がった。

ライブ中の声についても、男性(最初の「あゆ」コールの先陣をきった男性以外にも)の野太い歓声が印象に残った。

もちろん、有名な曲のイントロが流れた時の「おおー」という歓声などでは、男性の声はかき消されてしまうのではあるが、個人の歓声(「あゆ、可愛い」とか)では男性も存在感を示していたように思う。

③コスプレ客のこと

熱心なファンの中には、以前の浜崎あゆみの衣装を模した衣装を着ていている人が何人かいた。

コスプレしている人のほとんどが女性であったが、男性もいたことが印象的であった。

しかし、当日はどしゃ降りの雨であった。

せっかくの衣装がびしょ濡れになってしまっている人も多かった。

あのドレスはどうするんだろうか。

④ダンサーのこと

ダンサーやパフォーマーの人達は毎年同じメンバーでやっているようだ(もちろん全員というわけではないだろうが)。

個々のダンサーにもファンがいたことは印象的であった。

最後にスタッフ紹介があり、会場も盛り上がっているのだが、やはりイケメンダンサーが紹介されると、より大きな歓声が響いていた、と思うのは私の気のせいではないだろう。

④グッズのこと

コンサートではグッズ販売が当然ある。

私は、光るうちわとスポーツタオル、会場限定のグッズ等を買った。万単位でお金がとんだが、この程度は熱心なファンにとっては大した額ではないのだろう。
私の前にグッズを買った男性ファンは売られているグッズを全種類(Tシャツなどの色違いのものもすべて)3点ずつ購入していた。

私が買ったスポーツタオルは2500円であったし、3000円以上するものも少なくなかったから、合計金額は確実に10万円以上になっているだろう。

いやはや恐れ入った。

⑤ テープのこと
コンサートの最後の方で紙テープが盛大にまかれるシーンがあった。

私の席にもとんできたので、幾つかキャッチした。

赤と銀のテープであり、銀色の面には、「ayumi hamasaki POWER of MUSIC 2011」の文字が書かれている。
こうしたものが記念になることは間違いない。

しかしながら、それにしても通路や踊り場等に落ちたテープを肉を見つけた野獣のごとく群がる姿は美しくない。

ライブの後ならともかく、ライブの途中で踊り場にテープを拾うために群がり、しかも争うようにテープを拾う姿はあまり見ていて気分のよいものではない。


幾つかライブに行って印象に残った点を幾つか挙げてみた。

私にとって遠出して(しかも泊まりがけで)ライブに参戦することは今回が初めての経験であったが、とても楽しかった。

もう少し早くこの楽しさを経験しておけばよかった。
機会があればまた参戦したいと思っている。

ライブへ行ってきた

ライブが終わった。

ツアー初日であったせいか、何らかのトラブルがあったようで、開演が約45分遅れた。

しかしながらライブの内容は充実しており、最初から最後まで楽しく観戦した。
ライトをふりながら、声を出すところは出しすなど、年甲斐もなく?はしゃいでいた。

ライブで歌われた曲を1つずつ取り上げて感想を述べたりすることはしないが、とりあえず「劣化がひどい」という声に対して、今回実際に参戦してみた私の感想を書いておく。

まず声についてである。

今回はライブ初日であったこともあり、疲れた様子もなかった。

確かに高音が出ていなかった場面もあった。

しかしながら力強い歌声は健在であり、まだまだ「劣化」というほどのものではなかったように思う。

外見については・・・、正直言ってあまり触れたくないところである。

彼女は今でも綺麗であった。

綺麗であったが・・・、「綺麗なお姉さん」には見えなかったとだけ言っておこう。

本人のことはこれぐらいにして、次回は実際にライブに行ってみて印象的だった点についてり取り上げてみたい。

開演30前

開演まであと30分をきった。

私の日頃の行いは関係ないが、現在の広島はどしゃ降りの雨である。

タオルと光るうちわを買って、今は会場内にいる。

意外と男性客も多く、男性が浮くということはない。
二十代が一番多いが、家族連れも少なくない。

五十代、六十代のファンもいる。

十代の人へ意外と少ない。世代の違いが表れているのだろうか?

少しさびしい。

浜崎あゆみのライブ参戦のため広島へ

浜崎あゆみのライブのため、広島へやってきた。

開場は17時30分、開演は18時30分からであり、まだ時間がある。

広島城にでも行ってみようかと思うが、お好み焼きを食べてからにしよう。

さて、なんで浜崎あゆみのライブなのかというと、やはり昔から(今青春時代と書こうとしていたが、私の青春時代はまだ終わっていないはずだから、この言葉を使うのはやめた)よく聴いている歌手であり、カラオケでもよく歌う歌手であるから、前々から一度生で聴いてみたいと思っていたことが大きい。

今回思いがけずチケットが手に入ったので参戦しようと思った次第である。

浜崎あゆみの曲は、デビュー当初から聞いている。

CDも何枚か買った。ベストアルバム系は大体持っているはずである。

なにがそんなによかったのかと考えてみると、やはり一番に挙げなければならないのは、浜崎あゆみ独特?の声なのだろう。

あの声は宇多田ヒカルと並んで、私が女性歌手の中で好きな声である。

ちなみに、宇多田ヒカルの曲は、聴いていると心地よい切なさがあるところが好きだが、浜崎あゆみの曲は私的には元気がもらえる曲が多い点が気に入っている。

次に挙げなければならないのはやはり外見である。

当時は歌だけでなく、外見についても「綺麗な人だな」と思っていた。

当時から10年以上たった姿をみて、私は「綺麗」という感想をもてるだろうか。
そこは若干の不安要素である。

こういう話をすると、よく「彼女は劣化がひどい」という反応をする人が私の周りには少なくないが、はたしてどうなのだろう?

もう1つの不安要素は、最近の浜崎あゆみの曲をあまり聴いていないことである。

カラオケで浜崎あゆみの最近の曲が歌えていないことは、以前の「カラオケ考」の記事でも触れた。

最近の曲であっても、聴けば一応どの曲かはわかるのだが、やはりデビュー当時から2000年ぐらいまでの曲(最初のベストアルバムにはいっている曲)も歌ってくれればいいなと思っている。


今日は携帯からのはじめての更新であったため、今まで以上に読みづらくなっているかもしれない。

携帯からの更新にも慣れていきたい。

少女漫画的世界はあるか?(3)―『愛を歌うより俺に溺れろ!』にみる「男性が女性を守る」ということ―

今回は、新條まゆ『愛を歌うより俺に溺れろ』の白石秋羅を取り上げて、男性が女性を「守る」という点について考えてみたい。

Wikipediaから作品の概要を引用しておこう。

「ガールズバンド・青き薔薇(ブラウエローゼン)のリーダー・桜坂水樹は、聖野薔薇女子学院で王子様扱いされている綺麗でボーイッシュな少女。そんな彼女の前に、男海山高校で姫扱いされている可愛らしい少年・白石秋羅が現れる。ちょっぴり臆病で素直になれない水樹に対し、外見とは裏腹に男らしく、素直に自分の気持ちを伝える秋羅。水樹は秋羅を知るたびに、秋羅への思いを確認し、深めていく。」

そうそう、本題に入る前に1つことわっておかなければならないことがある。

以前友人から、この記事で取り上げた漫画を実際に読んだという話を聞いたが、今回の漫画は少女漫画であるけれども、若干BL要素が含まれるので閲覧には注意が必要である。一応ことわっておく。

さて、本題に入ろう。本漫画に登場する白石秋羅の設定は、以下のようになっている。

白石秋羅

男海山高校 1年 16歳
身長 162cm
体重 43kg
誕生日 8月15日 しし座
血液型 B型
住所 東京都世田谷区
家族構成 父母兄3人
趣味 格闘技
長所 女の子にやさしい
短所 わがまま
好きな食べ物 甘いもの全般、お菓子
嫌いな食べ物 牛乳
好きな女性のタイプ キレイな子
よく着る服のブランド h.naoto
得意なスポーツ 長距離走
好きな言葉 鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
好きな教科 音楽
嫌いな教科 国語

となっている。

外見は、ガンダムSEEDのキラ・ヤマトにそっくりであるから、彼を想像してもらえばいい。


今回取り上げた漫画は、女子校「王子」と男子校の「姫」という設定であり、言うならば男女逆転のラブコメである。

しかし興味深いのは、こうした「姫」設定の秋羅と「王子」設定の水樹であるが、こうした男女逆転はあくまでも外見的な面だけの話であるという点である。

つまり、「王子」設定の水樹(♀)が、「姫」設定の秋羅(♂)をデートでエスコートしたり、不良に絡まれた秋羅を水樹が守るというシーンはでてこない。

あくまでもデートでエスコートしたり、不良に絡まれた相手を助けるのは秋羅の役割である。

こうして見ると「守る」という行動は男性の側に課せられた使命なのかもしれない。

確かにこの漫画の秋羅は格闘技ができるが、外見はとてもそうは見えないかわいい系の男子である。

つまり、外見がなよなよしていたり草食系だからといってもこの「守る」という使命からは解放されない。

個人的には、女性が付き合っている男性に「自分を守る」ことを期待する場合、男性側が格闘技に長けてるからといった相手の男性の特技を見ているというよりは、相手が「男性である」から期待されているのだろうと思う。

したがって、「男性」である以上そうした「守る」という使命は、たとえ相手の女性が強かったとしても免除されない。

ちなみに「これができない」と現在の草食男子が批判されることがある。

私はこの批判については、男性側にも反省しなければならない点が多いと思う。

もちろん少女漫画のごとく彼女が不良に絡まれていたりすると、かけつけて絡んでいたやつらをボコボコにするという展開は、現実世界では期待できない(さすがにこのレベルを女性は期待してはいけない気がする)。

しかしながら、先に挙げた場合でも警察に通報するとか、助けをよぶなどの方法はあるし、何か高いところのものをとるといったことであれば、少し勇気を出して(高所恐怖症の場合は別)やってあげることはできないのだろうか。(「高いところは危ないから」と言われたという事例もあるらしい)

もちろん男性の側も危ない目には遭いたくないに決まっている。

しかしながら、せめて「自分も嫌だけど彼女も嫌ならちょっと頑張ってみよう」ぐらいの思いは持っていたいものである。

ていうか、「彼女」っていうのは、それぐらい思えるような特別な存在なんじゃないの?

と大した経験のない私は思うわけだが・・・・・・。

ゴールデンウィークの過ごし方について

皆さんはゴールデンウィークをどのように過ごしているのだろうか。

旅行に出かけたり帰省する人もいるだろうし、就職活動で忙しい人もいるだろう。

私も旅行に行きたかったのだが、6日に中世史の演習の発表があるためその準備をしなければならず、遠出は諦めた。

しかしながら、せっかくのゴールデンウィークにどこにも行かないというのもなんだか寂しい。

週末には浜崎あゆみのライブがあるので、あまりお金を使いすぎるのも考えものだが、せっかくの休みだからどこかへ行きたい。

そういうわけで、明日どこかへ遊びに行くことに決めた。神戸か大阪にでも行って服でもみてこようかと思っている。

そのためには演習の準備を今日中になんとしても終わらせなければならない。

そう思って今日は朝から勉強していたのだが、不思議とこういうときは集中でき、10時間以上ぶっ続けで作業していた。

これほど集中的にやったのは久しぶりである。

結局配布資料を10枚作成し、無事完成した。

発表に向けてまだやることはあるが、金曜日の発表のめどはついた。

これで明日は遊びに行ける。

そういえば、前回の記事は長文であったが、長文過ぎたせいか(6000字以上)どうも反応が薄い。

もう少し分割して載せればよかったかなと思っている。

もし最後まで読んだ人がいれば、ご意見をお聞かせください。

あと、昨日ブログのランキングに登録した。

上部のカウンターのとなりに「FC2 Blog Ranking」と表示されている。クリックしていただくとランキングが上がるので、クリックしていただければ幸いである。

草食男子について(4) ―「エセ草食男子」攻略についての一考察(中編)―

前回は「エセ草食男子」攻略の方針として、ステレオタイプの軽減とサブタイプになるという点を挙げた。

今回はその方針に基づき、「エセ草食男子」の攻略法について検討してみる。

以下長文になるが、前々回に挙げた分類に即して検討していきたい。

1、美食男子

このパターンの男性は、なぜ「美食」なのかを考えてみる必要があると思う。
文字通りの意味で「美人」でないとだめだという男性に「美人でない人にも魅力があるよ」とわからせることはなかなか難しい。

しかしながら、「美人でない女性はいやだ」と言っている男性が皆「美人でなければだめだ」と思っているとは限らないこともまた事実であろうと思う。

つまり、男性の「美人でない女性はいやだ」という言葉が、「一緒に町を歩けないようでは困る」という意味で使われている場合があるのである。

品位品格についても同様である。「下品な女性は嫌だ」といっている男性は必ずしも「上品でないとだめだ」とは限らない。こうした男性が問題視しているのは、あくまでも「最低限の品格を身につけていない女性(最低限が一般的な男性の基準より高い可能性はある)」であることは少なくない。

男性の側が自分の品位品格に自信を持っている場合は話は別だが、このように言っている男性でも、実際に文句のつけようのない品位品格を持った女性がいれば、逆に男性側がひいてしまう可能性があることもまた事実なのである。

したがって、一見美食男子に見える男性であっても、実際に男性が女性に求めていることはあくまで、基本的なマナーや美しくなる努力の域をでない場合も多いのではなかろうか。

そうした男性にアプローチする場合、そうした基本的なマナーや振る舞いに気をつける等の努力をしてみるのはどうだろうか。少し意識してみるだけでもだいぶ違うと思う。

外見についてもそうである。その人が外見を重視するのは単に性的嗜好によるものなのか、それ以外の要素によるものなのかに注意を払う必要がある。アプローチ方法は、基本的にその男性好みの具体的な外見にすることが基本である。

さすがに前者の場合は正直いってお手上げだが、後者の場合は努力できる範囲で頑張ってみるのもよいかもしれない。

2、偏食男子

このタイプの男性へのアプローチはなかなか難しいだろう。それが本能によるものであるならば、正直言ってどうこうなるのだろうかという気がする。

「こういう系の女性が好き」というのはステレオタイプではない。単なる好みである。これを改善させるのは無理であろう。

なかなかいい解決方法はみつからないが、一つ言っておくならば、この「好み」はあくまで性的な意味での話である。このタイプの男性は基本的に女性にやさしい。したがって、恋愛にセックスは不可欠であると考えている人には正直言って有用なアプローチ方法が思いつかないが、そこまで恋愛におけるセックスを重要視していないのであれば、アプローチしてみてもよいのではないかと思う。

セックスだけにこだわらず、一緒にいろいろな思い出をつくってみるのもそれはそれでよいのではないか。よきパートナーとしても有望である。

3、自炊男子

このタイプの男性には「女性と付き合う=面倒」というステレオタイプがある。このステレオタイプを破壊することは難しい。単に恋愛が「面倒」というだけならまだよいのだが、人間的な関わりが面倒くさいとなるとこれはアプローチする術が浮かばない。「そんな人を支えてあげたい」と思って努力しても、それがうっとうしく思えるわけだから。

女性と付き合うのが面倒であるというのはどういうことなのか。二つの場合にわけて考えてみよう。

()過去の経験がトラウマになっている場合

この場合、相手を知ることが重要になってくる。どうした点がトラウマになっているのか探る必要があろう。金銭的なことが原因なのか、束縛が原因なのか等、相手が女性のことをどうして面倒だと考えているのか考える必要がある。

原因がわかったら、対策を行う必要がある。具体的なエピソードがわかれば、方針も自然とたてることができるであろう。

そうしていくうちに「例外」になることができるのではないかと思う。

()特に恋愛経験はない場合

この場合は、2つほどの理由が考えられる。1つは、恋愛以外の出来事が原因になっている場合である。仕事等で女性とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、なにか嫌な思いをした場合、それがトラウマになり、恋愛においても女性を同じようにみてしまう可能性がある。

この場合、対策法は()の場合と同じで、相手のトラウマの原因を調査し、それに即した対策を行うことである。

()のタイプでもう一つ挙げておかなければならないのは、女性と関わることそのものに慣れていない場合である。こうした男性は女性とどう関わってよいのかわからず女性を面倒な存在だと考えてしまうことがあると思う。

この場合の対策法は、アプローチする男性に積極的に話しかけることである。幸い女性が嫌いであるわけではないので、積極的にコミュニケーションを行い、相手に「女性と話すのは楽しい」と思わせるようにもっていけば、よい方向に向かうと思う。

ただし、()の場合にしても()の場合にしても、基本的に男性と女性では身体的にも精神的にも違いがあることは事実であり、その差異に戸惑うことは、男性の側にも女性の側にもあって当然である。この点を理解した上で行動することが重要である。

4、共食い男子

まずこのタイプの男性にアプローチする上で注意しなければならないのは、その男性が過去に女性と付き合った経験があるかどうかである。

もし女性と付き合った経験がない人であれば、このタイプはアプローチする上ではさほど大きな障害になるとは思えない。私の友人達も、彼女ができてから突然連絡をとる頻度が激減するというのはよくあることであった。皆さんも経験がある人はいるのではなかろうか。

恐らくこの問題が表面化してくるのは、付き合い始めてからではなかろうか。

一方、過去に何人かと付き合ってことがある人の場合は話がかわってくる。このタイプの男性は、モテないから仕方なく男友達と一緒にいるとは限らない。むしろ過去の経験が、その男性を「共食い男子」にさせている可能性が高いのだ。

この場合は、「女性は面倒」というステレオタイプを軽減させるか「例外」になる努力をする必要がある。

具体的には二通りのアプローチが考えられる。

一つ目は「女性であっても男友達と同じようなことができる」と認識させることである。例えば、「男友達であれば普通にラーメン屋などに行けるのに、女性とだとそんなところへ連れて行くわけにはいかないし・・・。」等と考える人には、自分と一緒でもそういう所へ行ける(行っても問題ない)ことを男性に伝える(あるいは態度で示す)ことでステレオタイプ軽減の足がかりとなる可能性がある。

二つ目は「女性であるがゆえに、男友達とではやりにくいことができる」と認識させることである。例えばスイーツの店や遊園地など男友達だけでは行きにくいと思える場所にデートの場所を設定することで、男友達とはまた違った楽しみを見つけることにつながり、ステレオタイプ軽減を促進する可能性があるのではなかろうか。

一方で、同性の友達を大事にすること自体はなにも悪いことではない。「彼女なのだから私を優先させて」と言ってばかりでは、あまり長続きしないだろう。相手の思いも尊重しなければならない。

「ほどよく愛すること。長続きするのはそういう愛だ。」(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』)

5、小食男子

このタイプの男性にアプローチする場合、どのステレオタイプの軽減を狙うかという点を見誤らないことが大切である。

「自分が好きであること」とか「女性の為に金を使うくらいなら趣味に使ったほうがよい」という見方を軽減することは難しい。私も少しばかりナルシーな性格があるのでわかるが、こうした点を軽減しようとする場合、戦う相手は「自分(相手からみた)」や「趣味」という相手が好きだと思っているものになる。これでは勝ち目はほとんどない。

軽減すべきは「女性と付き合うと金がかかる」という見方である(ただし、「自分が好き」だと思っている男性の場合、女性の為にお金を使うこと自体はよいと思っている場合もあるから、見極めが大切である)。これは単に漠然と思っているだけかもしれないし、実際に金遣いの荒い女性と付き合ったことがあるのかもしれない。

いずれにしても、相手がそのような考え方をしていることがわかれば、相手に「金がかかる」と思わせるような言動は慎むべきであろう。私の周りで買って買って攻撃をするような女性は今のところみかけないが、もっと小さなレベルでも(例えば相手が700円のAランチを頼んだときに、こちらが2000円の料理を頼むと相手はどう考えるだろうか)注意が必要である。

個人的には、「自分が好きであること」はあまり障害とはならないと思うのでこの点については特に対策を挙げることはしない。

6、粗食男子

このタイプの男性にアプローチする上で注意しなければならないのは、その男性が自ら粗食男子になる道を選んでいるかどうかである。

バンドなどで、将来ビックになってやると考えていたり、芸人等の下積みをしている人間にとってはお金がかかる恋愛は本当に死活問題となるだろう。

ただ、このタイプは自ら好んでこのタイプになっているわけではない(そうならざるをえないだけ)なので、売れはじめるとこのタイプではなくなる。

したがって、こうしたタイプの男性にアプローチするためには、一緒に夢を追う(一緒に貧しい生活をしても)という姿勢が大切である。

ただ、このタイプの男性はこうした女性に感謝してくれるだろうが、はたして売れた時その女性を絶対に選ぶかと言われると、はっきりしたことは言えない。

もちろんそのまま付き合う場合も少なくないだろうが、一方華やかな世界を知ってしまうと、今まで貧しい生活をしてきた反動もあって、そうした華やかな世界の女性に目移りしてしまう危険はあるだろうから、そうした意味でも覚悟がいる。

そしてもう一つは、自ら進んでこのタイプになっている場合である。このタイプは貯金が好きなのか、日頃からあまりお金を使わない節約家であることが多い。

したがって、恋愛についても金がかかると考えて、これに消極的である場合が少なくない。このタイプを攻略するにはどうすればよいか。

やはり先程の小食男子の事例と同じように、「恋愛=お金がかかるもの」というステレオタイプの軽減を考えることが重要であろう。具体的なことは小食男子の部分で書いたので省略する。

7、拒食男子

最後くらい実体験を交えながら書いてみることにしよう。

このタイプの男性にアプローチする場合、まず見なければならない点は、その人の2次元の女性への依存度である。相手の男性が2次元の女性に強く依存していると、アプローチのハードルは相当高くなる。そもそも2次元の女性は、男性の理想像を表現したものであることが多いから、これを敵にまわして勝てるはずがないのである。相手の依存度が高い場合は、かなりの覚悟が求められる。

このタイプの男性にアプローチする際のキーワードは「誠実さ」である。この事例については自分も含めた幾つかの経験があるからそれをもとに記述したいと思う。

このタイプの男性に「告白してもらおう」とは考えない方がよい。したがって、女性の方からアプローチするしかない。

まず、ストレートに気持ちを伝えるべきであろう。「相手に気づいてもらおう」という間接的なアプローチはあまり意味がない。そうしたアプローチに気づかない可能性もあるし、気づいたとしてもそれこそ「罠かもしれない」と警戒してしまうだけである。

このタイプの男性の告白の流れはわりと決まっていると思う。まず第一にこれは罠ではないかという点を探ってくるのである。
「それは何かの罰ゲームなの?」とか「今日はエープリールフールだから?」等という受け答えである。

ちなみに前者は私が、後者は友人が実際に使った答えなのだが、これに対する女性の答え方はいずれも「冗談ではこんなこと言わない」というものであった。短いが、説得力があったと記憶している。

ここで相手に納得させれば(罠ではないことを理解させれば)まあ半分以上の確率で上手くいくのだと思うが、もう一つクリアしなければならないありがちな質問がある(別に私だけに限ったことではない)。

それは「僕のどこがいいの?」という質問である。

この質問の意図は何か?これは特に今まで彼女がいない場合、なぜ自分なのか?という点がわからないことが不安なのだ。特に別に彼女が欲しいわけでもないのに突然告白されたりすれば、「(特になにかしているわけでもないのに)自分のどこがいいの?」と思うことは普通のことであるといえる。

この質問への答え方であるが、ここで、いたずらにルックスを褒めたり「優しいところ」といった抽象的な表現をしてはならない。このような答え方をするとすかさず「もっといい人がいるよ。○○君とか・・・。」という回答が返ってくる。

この場でどのような答え方をするのがよいのかという点であるが、個人的には具体的なエピソードをそえて正直に答えるのがよいと思う。個人的には、その人がこだわりを持っている点で、かつ周囲の人にあまり理解されないような点を挙げることができれば効果は絶大だと思う。

経験の乏しい私にはそのような経験は数回しかないが、「僕のどこがいいの?」と聞いてみると、どの人にも具体的な点を挙げていただいたので、そんなに難しいことではないのではないと思う(単に私が「わかりやすい」だけかもしれないが・・・)。


以上「エセ草食男子」について、その攻略法を個々の事例ごとに記述し、あれこれ私見を述べた。

長々とした記述となってしまったが、書いている私はなかなかおもしろかった。

完全に自己満足の文章化しているが、なにか一つでも、同意していただける点があれば幸いである。

また最後まで読んでくださった皆様に感謝申し上げる。

さて、次回はこれらを踏まえ、草食男子についてのまとめを行う予定にしている。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。